
「ウラミの滝、ついでに見てゆきますか」「えっ、恨みの滝とは。そりゃ、怖いですね」「違いますよ。滝を裏側から見られる珍しい滝なんです」
奥志賀高原から飛ばしたタクシーの車中。運転手岩本悦男さん(65)の勧めで、高原巡りのついでに寄り道して秘湯が点在する渓谷の「裏見(うらみ)の滝」こと雷滝(かみなりだき)を見にゆくことになった。
ここは長野県北部の高山村。2000メートル級の山々が連なる志賀高原の中央部から車で約30分。地元では笠岳と呼ばれている独立峰然とした笠ケ岳(2,076メートル)の中腹を巡り、南麓に広がる牧歌的な山田牧場を抜けた松川渓谷に雷滝はある。道路脇から100メートル余、渓谷の荒々しい奇岩や奔流を眺めながら遊歩道を下ると、ごう音をとどろかせて落下する滝が現れた。
川幅約30メートルの松川の本流が断崖から、落差30メートルの滝つぼに流れ落ち、豪快に水しぶきを上げる。珍しいことに、滝口の真下の岩壁が屋根のひさしのように浸食され、遊歩道となっている。手を伸ばせば届きそうな所に、流量豊かな瀑布(ばくふ)があった。暑い盛りでも涼味満点である。

松川渓谷は温泉の宝庫。このうち、七味温泉は牛乳風呂のような濃厚な乳白色の湯だ。渓谷の景色をめでながらの露天風呂は格別だった。白根山の西麓にあたり、群馬県側の名湯、万座温泉、草津温泉に勝るとも劣らない泉質と感じた。
実は今回の旅はわが国有数のスキーリゾートで夏は避暑地でもある志賀高原(山ノ内町)で、最も奥まった奥志賀高原に滞在して、林道を伝って長野県最北端の秘境秋山郷(栄村)へ足を延ばす計画だった。
しかし、数日前の豪雨で落石のあった林道は、通行止めのまま。荒天が続くとの天気予報に暗然としたが、翌朝、タクシーに乗り込むと、幸運なことに青空がのぞいていた。
地元で生まれ育ち運転手歴45年という岩本さんは、1998年の長野冬季五輪アルペン会場になったこの高原の栄枯盛衰を見てきた。「昔は、随一の高級ホテルだった旧志賀高原ホテルに滞在して、スキーリフトが比較的すいている奥志賀高原までタクシーを飛ばす芸能人が大勢いましたね」と懐かしむ。
その本館が解体を免れて、昭和前期からのスキーリゾート開発の歴史を紹介する志賀高原歴史記念館になっていた。元スキー選手の小林和夫館長(70)が「80年前、東京へのオリンピック招致が盛り上がった時代、冬季五輪のアルペン会場話が浮上した志賀高原への外国人客を見込んで、国策で建設されたのがこのホテル」と教えてくれた。

両翼の客室棟は失われたが、4階建て本館の威容はそのまま。「設計指導はドイツ人だとしか分からず、日独とも敗戦国で当時の資料が失われて、だれの設計になるのか分からないのが残念です」と小林館長。
足を延ばせば高山村の秘湯巡りや、高原植物が咲き乱れる70もの湖沼、トレッキングコースも充実している志賀高原だが、時代から取り残されたように閑寂としている。都会の雑踏から逃れられる静けさこそ、今の魅力かもしれない。
宿の奥志賀高原ホテルは「森の音楽堂」を持つリゾート。指揮者小澤征爾さんが創設した「小澤国際室内楽アカデミー奥志賀」の演奏、さらにフレンチのコース料理を楽しんだ後、ワインの酔いをさまそうと屋外に出たら、降るような満天の星。澄み切った高原の夜空、天の川までくっきり見えた。
文・写真 長谷義隆
(2016年8月26日 夕刊)
メモ

◆交通
長野駅が移動の起点となり、高山村へは長野電鉄須坂駅から山田温泉行きの路線バスで約30分。
奥志賀高原へは、長野駅から直行バスが1日1便。
レンタカーか自家用車が便利。
◆問い合わせ
信州高山温泉郷観光協会=電026(242)1122
山ノ内町観光連盟=電0269(33)2138
おすすめ


★横手山
上信越高原国立公園のほぼ中央に位置する、標高2307メートルの山頂に夏山リフトで上がれば、雲上の大パノラマが一望できる。
晴れた日には北アルプス連峰、富士山、佐渡島まで望める。
★森の音楽堂
奥志賀高原を愛する小澤征爾氏のアドバイスをもとに造られた、同高原ホテル敷地内にある木のぬくもりが心地よいホール。
使用目的に応じて自由なホールレイアウトが可能で、300~500人を収容。
夏から秋にかけてさまざまな演奏会が行われている。
奥志賀高原ホテル=電0269(34)2034
★信州そば
志賀高原への旅の起点となる長野駅周辺に、そば専門店が多い。
善光寺の東参道にある老舗の北野家本店は信州戸隠産、八ケ岳産のそば粉をベースにブレンドした純手打ちの細切りそばが特徴。
電026(232)2492