
「あまり危ないので(妻の)手をひいて行きました…」
現代の言葉に少し直せば、こんな感じだろうか。いかにも新婚夫婦らしいほほえましさが伝わってくる。これが誰かといえば、幕末の志士、坂本龍馬(1835~67年)が、姉に宛てた手紙の一文だ。妻は、お龍である。
危ない場所というのが、鹿児島・宮崎県境にある火山群、霧島連山の高千穂峰(1.574メートル)の山頂近く。龍馬は、1866年、薩長同盟の仲介を果たした直後に京都の寺田屋で襲撃され、負傷した。機転を利かせて龍馬を救ったのが寺田屋にいた、お龍だった。西郷隆盛らの勧めもあり、同年3月に湯治のため、お龍を連れて鹿児島に来た。
今回の旅は、日本で最初の新婚旅行といわれる、その2人の旅をたどる形となった。
始まりは鹿児島県霧島市のJR肥薩線の嘉例川(かれいがわ)駅。古風な木造の駅舎は同線が開通した1903年に建てられ、国の登録有形文化財。今時の人気者、嘉例川観光大使の猫の「にゃん太郎」は、ホームわきのお気に入りの場所で昼寝の最中だった。
駅から約3キロのところにある塩浸(しおひたし)温泉。川沿いに湯煙が上る。龍馬が訪れた当時は、6、7軒の湯治宿があったという。いまは宿はなく、塩浸温泉龍馬公園として整備されている。龍馬たちが入ったという露天の湯船や、温泉と足湯、龍馬・お龍の像、そして資料館がある。
「龍馬たちはここに高千穂峰登山を挟み、通算18泊20日滞在しました」と園長代理の池田博康さん(69)が説明する。

この資料館に先ほどの龍馬の手紙(複製)が展示されている。寺田屋事件から始まり、塩浸温泉に触れ、高千穂峰登山については、イラスト入りで登頂の様子を詳述している。「湯治で山登りができるまで傷も治ったのでしょう」
高千穂峰の山頂には、天孫降臨伝説の天(あま)の逆鉾(さかほこ)があるが、手紙にはお龍と2人でそれを引き抜いて戻したこともちゃめっ気たっぷりに書いている。当時、龍馬30歳。歴史上の偉人も新婚旅行に心が浮き立つ普通の男性と変わらない。
龍馬たちは高千穂峰から下山した後、霧島神宮に参拝したが、こちらは車で直接霧島神宮に向かった。事前に「天気が良ければ、霧島神宮の大鳥居の前で高千穂峰が見えます」と聞いていたが、あいにくの雨で、何も見えなかった。
「この雨は島津雨といって歓迎の雨ですよ」と霧島神宮で迎えてくれた霧島シルバー観光ガイドの満塩啓子さん(69)が慰めるように言った。「(薩摩藩の)島津家の祖が雨の中に生まれたからといわれ、めでたいことなんです」
社殿は噴火などで何度も焼失した。1715年に再建された、壮麗な現在の社殿は雨に映えて一段と美しかった。境内の樹齢約800年の神木の大杉の説明に満塩さんの熱がこもった。龍馬も手紙に「ここには大きな杉の木があり…」と記しているほどだ。

夜はその龍馬たちが疲れを癒やした硫黄谷温泉に泊まった。今では霧島ホテルという現代的なホテルで、広々とした硫黄谷庭園大浴場は壮観だが、龍馬たちが味わったであろう、ひなびた風情とは程遠い。少し小さな露天風呂に入った。龍馬と同じ湯に身を浸していると思えば旅情も増した。
帰りは肥薩線に戻り、人吉駅(熊本県人吉市)からは今年3月に運行を始めた観光列車「かわせみ やませみ」に乗った。球磨川沿いの景観を楽しみながら、熊本駅までの約1時間半の列車旅。沿線のヒノキや杉材をふんだんに用いた車内。列車名となった鳥のカワセミ、ヤマセミも川辺に見られると聞いた。車窓の風景をじっと見つめている人もいた。新婚旅行もいいが、列車の1人旅もまた楽しい。
文・写真 朽木直文
(2017年7月21日 夕刊)
メモ

◆交通
鹿児島空港からJR嘉例川駅、塩浸温泉龍馬公園へはバスで各約10分。
嘉例川駅から同公園までバスで約4分。
霧島神宮はJR日豊線の霧島神宮駅からバスで約10分。
◆問い合わせ
霧島市観光課=電0995(45)511
おすすめ


★嘉例川駅の人気弁当
駅弁「百年の旅物語 かれい川」を駅で販売(土日祝日のみ)。
竹皮の容器にシイタケ、タケノコの炊き込みご飯、紅さつまのてんぷらなど。
過去にJR九州駅弁グランプリで3年連続1位。
1080円。
特急「はやとの風」車内では平日も販売(2日前までに要予約)。
森の弁当「やまだ屋」=電090(2085)0020。
原則月曜定休。
★薩摩焼の陶芸教室
霧島高原まほろばの里に、伝統の薩摩焼で黒薩摩の流れをくむ天降川(あもりがわ)焼の工房がある。
陶芸作家たちが教える陶芸教室も開いている。
湯飲みや器などを作る。ろくろは1620円から(送料別)。
電0995(78)2240
★人吉鉄道ミュージアムMOZOCAステーション868
JR人吉駅に隣接。
肥薩線をテーマに鉄道のジオラマ展示やミニ図書館などがあり、大人も子どもも楽しめる。
入館無料。
乗車できるミニトレイン、レールバイクは各100円。
原則水曜休館。
電0966(48)4200