ジャンル・エリア : 歴史 | 自然 | 静岡 2021年11月04日
伊豆半島は面積こそそれほど広くないが、山がちな地形。くまなく全域を回るのは難しい。南部まで行く機会はそうないだろうと思い、東岸を走る伊豆急行に揺られ、静岡県下田市に足を延ばした。
海運の風待ち港として栄えた下田は、幕末にペリーが上陸した「開国の町」。下田港近くの了仙寺で日米下田条約が締結され、歴史の表舞台に登場した。攘夷(じょうい)ブームの当時は、ペリーはさぞかし恐れられ忌み嫌われただろうが、令和のまちなかにはためく観光協会ののぼりは、コミカルなマスク姿のイラストが新型コロナ対策を呼び掛けている。
ペリーが約300人の部下を引き連れ、港から了仙寺まで歩いたといわれる「ペリーロード」を訪れた。小川にしだれ柳が掛かる風情ある通りに、おしゃれな雑貨店や飲食店が立ち並ぶ。中にはざらっとした直方体の石が整然と積まれた建物も。地元の人が「伊豆石(いずいし)」だと教えてくれた。
夜に地金目鯛(きんめだい)の刺し身、あぶり、なめろうの3種盛りで英気を養った翌朝は、伊豆半島の南東に突き出た須崎半島のさらに南にある恵比須島へ。50メートルほどの橋を渡ったところにある小島で、300メートルほどの周囲に沿ったコンクリートの遊歩道で1周できるようになっている。
お目当ては、海岸沿いに見られる地層。案内板によると、伊豆半島南部は古くは海底火山で、それが隆起と浸食を受けてさまざまな地層が露出したという。
いざ、と遊歩道に足を踏み入れるが、先に進めない。道が海面より下だったり、身長を越える高波が打ち付けたり。慌ててスマートフォンで調べると、その日の1回目の満潮時刻は午前8時42分。それから30分ほどしかたっていない。どうやら来る時刻を誤ったようだ。
それでも10時半ごろまで待つと、潮が引いてきた。まだ足元を洗う波をよけ、おっかなびっくり歩を進める。
すると、現れました! 巨大なミルフィーユのような白色と灰色のしま模様。火山から噴出した軽石や火山灰が海底に降り積もったり、海流に運ばれたりしてできたものだという。他に、海底を流れた土石流の痕跡という荒々しい地層も。周囲に広がる「千畳敷」にあるくぼみは、波に削られた平たんな面から伊豆石を切り出した跡なのだとか。
ペリーロードにあった伊豆石の建物も、大地の神秘のたまものか。太古の歴史と現代のまちなみが、ここでつながった。 (築山栄太郎)
▼ガイド ペリーロードは伊豆急下田駅から徒歩10分。恵比須島へは同駅から東海バスで12分の須崎海岸停留所から徒歩10分。下田市観光協会(電)0558(22)1531
(中日新聞夕刊 2021年11月4日掲載)