ジャンル・エリア : 川 | 歴史 | 静岡 2022年02月03日
東京から名古屋まで約350キロ。東海道新幹線のぞみ号が1時間40分で駆け抜ける現在からは、想像もできないが、鉄道が開通する以前は、徒歩で移動するのが当たり前。時間はかかるし、疲れるし。江戸時代はさぞ苦労が多かったろうなぁ。その中でも、難所の筆頭にあげられるのが、静岡県の大井川だ。
川幅が広く流れも急なことから、幕府が江戸防衛のため、架橋や渡船を禁じ、多くの庶民は「川越人足(かわごしにんそく)」の肩車で川を渡った。その拠点となったのが、東岸の島田宿と、西岸の金谷宿(いずれも同県島田市)だ。
島田宿の大井川川越遺跡では、300メートルにわたり人足の詰め所などの町並みを復元している。ところどころ間隔はあるが、昔ながらの木造平屋が並び、時代劇に入り込んだような気分を味わえる。
自由に出入りできる建物もあり、当時の人足の生活をパネルで紹介している。キョロキョロ歩いていると、障子を開放した家屋に座っている男性と目が合った。ぎょっとしたが、これは人足を模した人形。大人を担ぎながら急流を歩いていただけあって、いかにも屈強そうに作ってある。
遺跡の西の端にあるのが、市博物館。宿場の歴史や、江戸時代の旅の様子を紹介している。川越のきっぷ「川札」も展示しているが、押印した油紙の一方の端をこより状にしただけ。人足たちは、このこよった部分を髪などに結び付けて川に入ったというから、これくらい簡素な方が取り回しが楽なのだろう。
川が増水し、水深4尺5寸(約1.4メートル)を越えると、通行禁止の「川留め」となり、最長で28日も続いた。旅人は予定外の滞在を強いられる一方、宿屋などは大繁盛。ばくちで有り金を使い果たし、宿場町に居ついてしまう旅人もいたとか。ばくちが怖いのは、どの時代も同じだ。
博物館を出て、いよいよ大井川を渡ろう。人足に頼っての川越制度は1870年に廃止され、今や新幹線や高速道路、国道など、何本もの橋が川をまたいでいる。今回渡ったのは、博物館から最も近い全長1026メートルの「大井川橋」。水量が少なく、足元には白い河原が広がる。
写真を撮りながらゆっくり歩いたが、橋を渡るのにかかった時間はおよそ15分。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と口ずさんでも、実感は湧かない。江戸時代の情緒と、150年の変化を感じる旅だった。 (大山弘)
◆ガイド 大井川川越遺跡へは、JR島田駅から徒歩25分。自動車では新東名島田金谷インターから15分で、市博物館に駐車場がある。出入り自由な建屋もあるが、住居として使われている家屋もあるので注意。博物館は一般300円、中学生以下無料。(電)0547(37)1000
(中日新聞夕刊 2022年2月3日掲載)