ジャンル・エリア : 展示 | 岐阜 | 工芸品 | 歴史 2022年05月18日
瑞浪市日吉町の酒波神社から出土し、所在がわからなくなっていた約800年前の銅鏡が、名古屋市の古物店で見つかり、瑞浪市が買い戻した。出土から100年ぶりに「里帰り」した銅鏡が、市陶磁資料館で展示されている。6月12日まで。(真子弘之助)
銅鏡は直径9.1センチ、重さ約46グラム。鏡面の裏には、水辺を表す砂浜とそこに咲くヤマブキ、羽ばたく2羽の鳥が描かれている。この図柄から、銅鏡を審査した市文化財審議会が「洲浜山吹双鳥鏡」と名付けた。平安時代末期―鎌倉時代前半の12世紀末~13世紀前半に京都周辺で作られたと考えられるという。市陶磁資料館の砂田普司学芸員(45)は「当時の銅鏡は高級品で、東濃でも同時代の発見例は少ない。酒波神社が当時力のある神社だったとわかる」と評価する。
市陶磁資料館によると、銅鏡は1921年に神社本殿の裏にある経塚から出土したとされる。経塚は来世での安寧を願う末法思想に基づき、経文と一緒に銅鏡などを魔よけとして埋めた遺跡。平安時代末期ごろから全国の有力な寺社などで営まれた。
主に中濃、東濃地方の郷土史を調べた考古学者の林魁一(1875~1961年)が、学術雑誌「考古学雑誌」に、今回見つかった銅鏡の由来や銅鏡の図柄を写し取った拓本などを記録していた。ただ、これ以降は銅鏡の所在がわからなくなっていた。
銅鏡の箱に「瑞浪市日吉町出土」と記されていたのを見つけた名古屋市の古物商から昨夏、瑞浪市に連絡があり、市陶磁資料館が調査を進めた。拓本と同じ図柄であることや、当時は同じ図柄の銅鏡が複数制作されたとは考えにくいことなどから、失われていた銅鏡であることを確認した。市文化財審議会の決議を経て、市が55万円で古物商から購入した。
林魁一が記録していた酒波神社で見つかった別の銅鏡は、瑞浪市内の出土品にもかかわらず土岐市文化財に指定されていたが、その経緯は不明だという。林の記録にあった銅鏡以外のつぼや古銭などの出土品も行方がわかっていない。砂田学芸員は「今後さらに調査を進めて、市内でも古い歴史を持つ酒波神社の歴史をさらに解明したい」と話し、「遺物に関する情報があればぜひ寄せてほしい」と呼びかけた。市陶磁資料館=0572(67)2506