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【富山】学童疎開記憶 物語る看板 戦時中受け入れ 氷見・上日寺が寄贈

ジャンル・エリア : 富山 | 展示 | 歴史 | 神社・仏閣  2022年08月10日

「語り継いでほしい」と話す柳原龍成住職(右)と大野究館長=氷見市朝日本町で

「語り継いでほしい」と話す柳原龍成住職(右)と大野究館長=氷見市朝日本町で

「語り継いで」と市博物館へ

 太平洋戦争中に集団疎開を受け入れた氷見市朝日本町の上日寺は9日、「学寮」と記した木製看板を同市博物館に寄贈した。博物館で10日から9月末まで展示される。 (小畑一成)
 
 看板は「東京都大森区第4国民学校上日寺学寮」と書かれ、縦152センチ、幅21センチ。裏面は学寮の部分が「分教場」と記されており、寺で授業も行われたことが分かる。同寺で柳原龍成住職(60)から博物館の大野究(もとむ)館長に渡された。
 
 博物館によると、1944、45年に都内から約1500人が当時の氷見郡内の寺などに集団疎開。上日寺には大森区(現大田区)の第4国民学校から、44年9月~45年2月の第1次に6年生47人、45年3月~10月の第2次に2、3、5年生55人の計102人の男児が避難した。
 
 戦後、疎開した人たちが寺を訪問したり、地元民と交流することもあったが、10年ほど前から途絶えているため、寄贈することにした。
 
 男児たちは本堂で生活。ホームシックにかかったことなどが伝わっている。龍完前住職が亡くなった後、柳原住職が応対した訪問者は、昔過ごした本堂でただ静かに座っていたという。柳原住職は「ウクライナから避難している人たちと同じく戦争の犠牲になった。看板は資料として残して語り継いでほしい」と寄贈の思いを話した。