半年間の雨期が終わっても、11月のホーチミンは朝からじっとりと蒸し暑く、建物を出ればたちまち汗がにじむ。日中、地元の人が歩いている姿はほぼ見かけない。騒々しくクラクションを響かせ路上を覆う名物の「バイクの海」は、行く当てもなく流している。風を切って涼むのがベトナム流だそうだ。
熱気と喧騒(けんそう)の経済の中心地から車で南西へ約70キロ。2時間ほど走りミトーという町に入ると、褐色の大河が見えてきた。中国・チベット高原から6カ国にわたって4000キロを流れるメコン川だ。ミトーはその河口近くの町で、メコン川は間もなく、終着の南シナ海へ抜ける。
メコン川を越えると、ジャングルのような田園風景が広がる。ベトナムの穀倉地帯・メコンデルタだ。そのジャングルの真ん中に、目指したカントーの町があった。メコン川最大の支流ハウ川を中心に発展し、「水の都」と呼ばれている。
町の象徴は何といっても水上市場だろう。肥沃(ひよく)なメコンデルタで育まれた食の恵みが、網目のように走る水運をたどりベトナム各地へ届けられる。その一つ「カイラン市場」を目指し、小さな観光船に乗り込んだ。メコンデルタに点在する水上市場の中で、カイランはツアーが豊富でアクセスしやすい。
午前7時。ハウ川を20分ほど下る。市場のアーチをくぐると、無数の古びた小舟が行き交い始めた。「バイクの海」と同じように、ぶつかることもなくスイスイと。船の先端にさおがあり、野菜や果物が結ばれている。「売り物を示す看板代わりさ」とガイドのチュンさんが教えてくれた。甲板には山積みの食品。パイナップル、スイカ、カボチャ、キャベツ・・・。数え切れないほどの種類だ。
そこに空っぽの船が買い付けにやって来る。仲買人は何やら交渉を始め、空っぽの船にどんどん食料が積み込まれる。競りの声が飛び交うわけでもない。ハンモックに横たわりサボっている人もいる。それでも「ドッドッド」とやかましい船のエンジン音、排ガスのにおいに包まれた市場はエネルギッシュだ。
川岸にはさびたトタンの家々が並ぶ。床は水面から2メートルほど。柱は水中から延びている。まさに水上の家だ。住人が思い思いの朝を過ごしているのが見える。川の水で野菜や食器を洗う人、投網で魚を取る人、行き交う船をただ眺めている人。大河の上にぎゅっと詰まった、見たこともない生活。メコンデルタ伝統の文化に旅行者は魅了されるのだろう。
カントーを離れ再びホーチミンへ。激しい渋滞もあり5時間近い長旅だった。宿は「マジェスティックサイゴン」。サイゴン川のほとりに立つ1925年創業の名門は、日本人には「開高ルームがあるホテル」として有名かもしれない。64年11月~65年2月、作家・開高健さんがベトナム戦争の取材拠点として利用したことが由来だ。旧館の103号室で、誰でも宿泊できる。内装は当時と異なるが、間取りはそのままにしてあるそうだ。
私は別の部屋だったが、開高ルームを見せてもらえた。背の高い重厚な木製ドアを開けると、漆を塗ったように鈍く光る床。手入れが行き届いた机やいす。壁には穏やかな表情の開高さんの写真が飾られている。
50年以上前にベトナムを駆け回った開高さんは、今でもこの老舗に「お客さま」として、もてなされているような気がした。
文・写真 武田雄介
(2018年1月12日 夕刊)
メモ
◆交通
ホーチミンへは成田空港や中部国際空港などから直行便で約5時間30分~7時間。
便の多いベトナム航空は成田から週14便、中部からは週7便運航。
予約・発券は、電03(3508)1481。
◆観光情報
ホーチミン市観光開発局のサイト(「Vibrant HO CHI MINH CITY」で検索)が日本語もあり充実している。
おすすめ
★チョコレート
メコンデルタはカカオの産地としても注目されている。
収穫されたカカオはベトナムで人気の高級チョコブランド「MAROU(マルゥ)」などに出荷される。
マルゥはカカオの風味を生かした甘すぎない口当たりでお土産として人気。
東京・渋谷の「カフェ ルビーオン青山」に期間限定のポップアップストアがある。
3月末まで。
★ライスヌードル工場
ハウ川沿いではライスヌードル作りを体験できる。
米とタピオカを混ぜた生地を薄くのばし30秒蒸す。
3時間ほど天日干しにして裁断すれば完成。
工場では即売もしていて、1袋2万ドン(約100円)。
★バインミー
安くておいしいベトナムの定番バゲットサンド。
マヨネーズとパテを塗ったフランスパンに野菜やチーズ、肉類、シーフードをたっぷりと挟む。
お店によって味付けや具材が異なるので、好みの味を探すのも楽しい。