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大邱 今も変わらぬ深き縁

2009年06月14日

 「小銭がない?」。料金先払いのバスで運転手ににらまれた。すると先に乗っていた70代の女性が交通カードを差し出し、「サービスよ」と流ちょうな日本語。韓国南部、大邱(テグ)市の山村、友鹿里(ウロクリ)のバス停で助けられた。

 この村には約400年前、豊臣秀吉の朝鮮出兵に加わりながら朝鮮側に投降、日本軍と戦った異色の日本武将、沙也可(さやか)の子孫が住むとされる。沙也可とは誰か。諸説あるが、歴史の謎に誘われて日本人がしばしば村や近くの記念館を訪れる。

 鉄砲技術を朝鮮に伝えたとされる沙也可は武功により朝鮮国王から金忠善(キムチュンソン)という名を受け、定着した。村の道を歩き、村人の表情に日本人の面影を探しながら沙也可の「決断」に思いをはせた。

 バスで出会った女性はソウル出身。日本で暮らし、23年前に夫の故郷、友鹿里に移り住んだ。名刺を渡すと旅の数日後、女性から安否を尋ねる丁寧な電話があった。日韓の縁の深さを感じた。

 (福田要)