2018年08月02日
北京の天安門広場で人民解放軍が学生らに銃口を向けた29年前の6月4日は、曇り空の暑い日だった。今年の同じ日、日陰のない広場は、照り付ける太陽から逃げ場がない。
この日は広場に入るまでが大変だった。地下鉄の駅から出ると、2重3重の警察車両が物々しく、広場入り口では空港のような安全検査が行われていた。係の警官は私のパスポートを素早くめくってビザのページを見て「記者だ」と同僚に告げた。聞いていた通り、この日はやはり記者は入れないようだ。
理由を聞くと「誤解を避けるため」などとよく分からないが物腰は驚くほど柔らかい。若い警官は「日なたは暑いから」とテントの下に入れてくれた。
ここで「天安門地区管理委員会」で登録すれば広場に入れるとの説明を受けた。半信半疑で10分ほど歩いて、当該の役所にたどり着いたら、窓口の女性が「外国メディアはダメ」と予想どおりの答えだった。
だめもとで、別の場所で安全検査の列に並んだら、警官はパスポートを開きもせず、通してくれた。やっと入れた広場では、普段と変わらず観光客らが記念撮影していた。 (中沢穣)