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中国・陶頼昭 記念碑破壊の対日感情

2019年11月19日

 戦前、国策によって岐阜県黒川村(現白川町)から旧満州(中国東北部)に渡った開拓団の遺族が、吉林省陶頼昭(とうらいしょう)の開拓団跡地を訪ねるのに同行した。

 トウモロコシ畑が広がる大地の脇に「中日友好記念碑」の残骸があった。2004年に遺族会が資金を出して建立したが、12年の沖縄県・尖閣諸島の国有化後、何者かに破壊された。

 「開拓団は中国人を家や畑から追い出したり、安く買い取って入植した。ゼロからの開拓ではない。今思うと、ひどいことをした」。3歳で満州に渡った藤井欽雄(かなお)さん(82)は言う。加害者意識を持っていた開拓一世の中には、記念碑が壊されるのを予想していた人もいる。

 根強い反日感情の一方で、日本人と良好な関係を築き、戦後命からがら引き揚げる開拓団員の世話を焼いてくれた中国人もいたという。現地の中国人と「人間対人間の関係」(藤井さん)があったかどうかは、団員の命運にも影響を及ぼした。現地の人たちの対日感情は複雑だ。

 記念碑再建の見通しを問うと、こう答えた。「また(中国側から)声をかけてくれる時が来ますよ。私たちが死んだ後かもしれませんが」 (浅井正智)