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独ウリーツェン 日本人医師への敬愛

2020年05月05日

 第二次世界大戦後の混乱期にドイツ東部ウリーツェンで感染症治療に力を尽くした肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)医師(1908~46年)の慰霊式を取材した。

 東京・八王子出身の肥沼医師は放射線医学を学ぶためドイツに留学。45年のドイツ敗戦後、発疹チフスがまん延していたウリーツェンで住民らの治療に身をささげ、自身も感染して37歳で亡くなった。

 命日に行われた慰霊式では市長自らスマホを操作し、八王子の子どもたちから送られた合唱を小型スピーカーで再生する場面があった。参列者は30人ほどだったものの、肥沼医師に対する人々の思いを感じた。

 参列者には肥沼医師を支えた看護師の一人、ヨハンナ・フィードラーさん(92)の姿もあった。慰霊式後に当時の話を聞くことになっていたのだが、途中で体調を崩して帰ってしまった。寒空の中、30分以上立ちっぱなしだったから無理もない。

 昼夜を問わず患者の治療に当たった肥沼医師。当時の医療環境を考えれば、その献身は想像を超えるものだっただろう。新型コロナウイルスが終息したら、再びフィードラーさんを訪ねたいと思っている。 (近藤晶)