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バンコク ほほ笑みの国の恐怖

2020年11月06日

 弟の38回目の誕生日は、お祝いではなく、祈りの日になった。「無事でさえいてくれれば」。バンコク郊外の寺院で8月中旬、シタナンさん(47)は友人たちと静かに手を合わせた。

 弟のワンチャラームさんは、反政府運動のメンバー。6年前に母国を逃れ、隣国カンボジアから政府批判を続けていた。6月初めの夕刻、普段のたわいない電話の最中に突然、会話が途切れた。自宅近くの防犯カメラには、車に押し込まれ、連れ去られる姿が残されていた。

 人権団体やメディアが騒ぎ、両国の関係当局は腰を上げたが、対応は極めて素っ気ない。「居住の事実が確認できない」「国を出て行った人だ」。いまだ手掛かり1つ見つからない。「弟が間違ったことをしていたなら、謝って取り消したい。でも、誰に何を言えばいいのかさえわからない」。大きな目に、いっぱいの涙が浮かんだ。笑顔を忘れて、もう3カ月になる。

 政府に批判的な人物が、こうした不可解な失踪を遂げるケースは初めてではないという。のどかな寺院の片隅で、不釣り合いに、遠巻きにじっとカメラを回す男がいた。炎天下にも、薄ら寒さを覚えた。 (岩崎健太朗)