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中国・合肥 錦を飾らぬ理由は?

2015年01月21日

 中国安徽省の省都・合肥は三国時代に曹操配下の張遼が孫権を打ち破った「合肥の戦い」の地だ。遼が来るという意味の「遼来遼来」という言葉がある。張遼の武勇にちなみ、子供が泣いた時に「遼来遼来」と唱えれば、泣きやまない子はないとまで言われた。

 その安徽省。長らく「安徽阿姨(アイ)」(安徽省出身のお手伝いさん)が家政婦の代名詞になったほど出稼ぎが多く、最貧省の一つに数えられてきた。「同郷自慢」が大好きな中国で安徽省人が色めき立ったのは、公式には安徽省績渓県が本籍の胡錦濤氏が国家主席の座に就いた時だ。

 実は、胡氏が生まれ育ったのは江蘇省泰州市である。先代の江沢民氏が江蘇省揚州市出身のため、カリスマのトウ小平氏が、2代続けて江蘇省出身ではまずいと判断し「父祖の地を名乗れ」と指示したとか。

 胡氏は政治の表舞台を去ったが、合肥は他の省都と比べめざましく発展した様子もない。日本の政治家と同様、中国指導者も「衣錦還郷」(故郷に錦を飾る)が通例。安徽省の“現状”は、胡氏の清廉さのたまものか、はたまた、育った故郷ではないからか。(加藤直人)

(注)トウ小平のトウは登ヘンにおおざと