「週末の朝9時ごろにパリをたつリヨン行き列車は、通称・ボキューズ号と呼ばれる」。いつ、どこで聞いたのか思い出せないが、この言い回しだけは鮮明に記憶していた。
フランス中東部に位置するリヨンは美食の街として、つとに有名だ。それは2018年に没するまで半世紀以上もミシュランガイドの3つ星を維持し続けた料理界の重鎮、ポール・ボキューズ氏の功績によるところが大きい。王道を行く彼のクラシックなフランス料理を目当てに、わざわざパリから食通が大挙して押し寄せたという「伝説」が、そのことを裏付けている。
リヨン郊外にある彼のレストランには手が届かないが、その神髄に少しでも近づきたい。そんな向きにはとっておきの場所がある。市中心部のパール・デュー駅から歩いてすぐの「ポール・ボキューズ市場」だ。
雑多で喧騒(けんそう)という市場のイメージとはかけ離れ、ガラス張りの建物内は高級食材を扱うブティックのような雰囲気だ。肉、魚介、チーズ、フルーツ、総菜、そしてパンや菓子類…。70以上の店がまるで陳列を競い合っているかのように美しい。
店員に尋ねると、国家から認定されたその道の最優秀職人(MOF)が多くいて、「ブレス鶏」や「コンテチーズの30カ月熟成」などよりすぐりの特産品を集めているという。その場で飲食できるテーブル席を設けた店もある。生がきやウニ、カニを盛った大皿を囲み、観光客が朝から白ワインをグイグイやっている。思わず「ゴクリ」と喉が鳴ってしまった。
郷土料理を出すブションと呼ばれる店や星付きレストランがひしめき合う美食の街には、新たな食の殿堂もできた。19年秋に開館した「国際美食館」。食材、調理法、健康への効果までを網羅した展示、さらに各国の腕利きシェフを招いての実演、ミニコースの試食も。
目玉はボキューズ氏のすべてがわかる展示だろう。時のジスカールデスタン大統領にささげた「トリュフのスープ」を再現したサンプルや厨房(ちゅうぼう)品、記録フィルムなど、料理人を目指す人やグルメにはたまらない内容だ。
リヨンは、パリに次ぐフランス第2の都市だ。古くはローマ帝国の属州の首都で、その時代の遺跡が残る歴史と文化の顔も持つ。日本との関わりも深く、「ふらんす物語」の永井荷風、カトリック文学を学ぶため戦後初の留学生となった遠藤周作…。かつて遠藤作品に傾倒した身としては、ゆかりの地を歩く「聖地巡礼」をしたくなった。
彼がよく散歩したというフルビエールの丘やローマ劇場の遺跡辺りを歩き回った。1951年のクリスマスのミサに彼が参列したサンジャン大聖堂に足を運ぶと、ゴシック建築の傑作に感嘆したであろう遠藤の姿が目に浮かぶようだった。
遠藤はリヨンについて「私はこれほど霧のふかい町を他に知らなかった。10月から翌年の春まで日本のような晴れた日にほとんどめぐりあわせぬ町にその後、私は住んだことはない」と書いた(『冬の優しさ』)。
訪れた12月初旬もまさにそうだった。地元の経済振興公社に勤めるマリオン・モレルさんは「霧が出るのはローヌ川とソーヌ川から上がる蒸気によるもので午前中で消えます。冬は厳しいがその分、春に目覚める自然の風景は美しく、市民は一斉に表に出ます」と話してくれた。
次は春に訪れたいなどと考えていたら驚くニュースが。「ミシュランがポール・ボキューズを格下げ」。リヨンには衝撃が走ったことだろう。だが、立ち込めた霧がやがては消散するように、「美食の街リヨン」はこのピンチを乗り越え、人々の舌を魅了し続けてくれる、そう思っている。
文・写真 久原穏
(2020年2月7日 夕刊)
メモ
◆交通
日本からリヨンへの直行便はなく、パリ、フランクフルトなどを経由して、リヨン・サンテグジュペリ空港へ。
空港からリヨン市内へは高速トラム(路面電車)で約30分。
パリからは高速鉄道TGVでリヨン・パール・デュー駅まで約2時間。
◆観光情報
フランス観光開発機構の日本語ホームページは、イベント予定も含め詳しい情報が載っている。
おすすめ
★ノートルダム・ド・フルビエール・バジリカ聖堂
市西部の旧市街、フルビエールの丘に立つ。写真は聖堂内。
展望台があり、ソーヌ川とローヌ川やリヨンの美しい街並みが眼下に広がる。
ケーブルカー利用が便利。
聖堂から少し下った所にルグドゥヌム(ローマ帝国の属州の首都)があり、紀元前建造のローマ劇場の遺跡を見学できる。
★光の祭典
毎年12月8日を含む4日間開催。
国内外から200万~400万人が訪れ、来場者の多さからリオのカーニバルなどとともに世界4大祭りの一つとされる。
市内に複数カ所ある会場は、レーザー光線やプロジェクションマッピングなど、映像と音楽を駆使した芸術的な作品で彩られる。
厳寒の中だが、ホットワインやクレープなどの露店で暖を取るのも楽しい。