熊本市のスポット&グルメ 2回目
2011年6月19日
6月の2回目「ぶらっ人 from 福岡」は、前回に続き、熊本市のスポットを巡ります。
「熊本城」は、加藤清正が1601年?1607(慶長12)年まで、7年の歳月をかけて築城しました。54万石の城下町・熊本市のシンボル「熊本城」には、「西大手櫓門」から本丸へ入城します。城には、本丸前面を防御する西出丸に、西・南・北の大手門があります。その中で、城の玄関に当たる「西大手櫓門」は、最も格式の高い門です。2003(平成15)年に復元されました。
まず、「宇土櫓」を訪れました。西南戦争後も焼け残った唯一の多層櫓で、3層5階、地下1階からなり、1596?1614(慶長年間)の建物です(上)。
地上19mの屋根には、鯱が乗っています(下)。
重要文化財ですが、一般公開されています。内部は、黒光りする木材がふんだんに使われています(上)。
上階へは、急勾配の階段を登ります(下)。
「宇土櫓」から見た熊本市内中心部(上)。
大天守閣と小天守閣が目の前に見えます(下)。
熊本城といえば、独特の弧を描き、扇の勾配を持つ「武者返し」。下りは緩やかな30度、上に向かうと角度が付き75度の絶壁になります。
続いて、2008(平成20)年に復元された「本丸御殿」に向かいます。「本丸御殿」は、行政の場、歴代肥後藩主の対面所として使われてきました。
「本丸御殿」へは、大広間の下に設けられた「闇り=くらがり=通路」を利用します。石垣の上に直接配置された赤松の梁に、欅の柱を備えています。
玄関口を入ると配膳を行っていた「大御台所」。天井には、巨大な赤松の梁が通され、熱がこもらないよう、高く取られています(上)。
土間には、4つの竃があります。(下)。
大広間の玄関口にあたる「鶴之間」。60畳の畳が敷き詰められています。
「若松之間」は、藩主と家臣の対面に使用された部屋です。
最高格式の部屋が「昭君之間」は、床、棚、不書院と帳台構えが設けられています。中国宮中の故事"王昭君の障壁画が描かれ、荘厳な雰囲気です。
黒と白の重厚な佇まいの天守閣に登ってみます(上)。
緑の中に「宇土櫓」が見えます(中)。
高さ30mの最上階から見た、市街地北側(下)。
「熊本城」から、市の中心部で一番人通りの多い「下=しも=通り」へ向かいます。
「下通り」アーケード内にある「紅蘭亭」で昼食(上)。1934(昭和9)年創業の老舗中華料理店です。
「太平燕」を注文(下)。中国福建省を起源とする中華料理で、タイピーエンと読みます。豚骨・鶏ガラスープの中に春雨、野菜と魚介が入っています。熊本市内では、学校給食のメニューに載るほどポピュラーで、カップ麵も売られています。
私の印象からすると、長崎チャンポンの麺が春雨になった感じ、ヘルシーな料理ですね。
- 東 淳二郎
1957年7月9日生まれ 北九州市門司区出身 56歳
印刷会社のサラリーマン生活を経て、1990年からフリーライターに。
雑誌の取材で、九州中の観光地を訪れ、グルメや温泉を堪能している。
また、もの心ついた時から鉄道ファンで、"乗り鉄"。国内はもちろん、海外でも時間をみつけては鉄道旅を楽しんでいる。