2023年01月12日
目を閉じると、静寂が全身を包んだ。優しい風が、ほおをなでた。人工の音は何も聞こえない、無音の世界。
夏の終わり、知人が主宰する写真クラブの撮影会に誘われ、英南部デボン州のダートムーア国立公園を訪れた。
面積は東京23区の1.5倍もの広さ。湿原には見渡す限り、紫のヘザーと、黄色のゴース(ハリエニシダ)の花が咲き乱れていた。花こう岩の丘に登り、野生の馬を眺めながら、新鮮な空気を思い切り吸い込んだ。花やミツバチを追いかけ、一心不乱にシャッターを切った。
参加者の一人が「携帯の電波が立ってない」といい、「気分がいいのはそのせいもあるのかなあ」とつぶやいた。確かに、目に見えない電波から人間は普段、さまざまなストレスを受けているのかもしれない。
解放感に満ちあふれていると、聞き慣れた人工音が一瞬聞こえて切れた。まさか、と思いつつ着信を見ると、東京のデスクからだった。休みと伝えておいたが、急用だろうか。かけ直すと「あ、間違いでした」。…。この時ばかりは、電波の強い携帯電話会社と契約したことを、心底後悔した。 (加藤美喜)