2023年04月06日
日本が朝鮮半島の植民地統治を進める上で鉄道の重要拠点として開発した韓国中西部の都市大田(テジョン)。1930年代の大田駅前の地図を眺めていて、ふと思った。「岐阜町」「岡谷製糸」など日本の中部地方を連想する地名や施設が多い。
大田を訪れる機会があり、一帯を散策してみた。地名の通り、岐阜や信州から移住した住民も多かったそうだが、今では、韓国料理の食堂やチマ・チョゴリ店などが並ぶ韓国らしい商店街となっている。
韓国で、日本人が植民地時代に暮らした住宅は「敵産家屋」と呼ばれる。大田には多く残っていると聞いていたが、再開発で次々にビルに変わっている。1時間歩いてようやく、日本人支配層が住んでいた家を発見した。10年ほど前に改築され、カフェとして使われている。
床の間や押し入れがあった空間で、若者らが交流サイト(SNS)に投稿する写真の撮影を楽しんでいた。50代の女性店長カンさんは「若い客は家の複雑な歴史よりも、“SNS映え”するレトロな雰囲気にひかれて来る」と語ってくれた。私も若者らにならい、おしゃれ写真を撮ってみた。 (相坂穣)