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【愛知】名古屋・松坂屋、戦時の歩みたどる 南館で企画展

ジャンル・エリア : 展示 | 愛知 | 歴史  2020年07月08日

進駐軍向けのダンスホールなどの写真を眺める河村さん

進駐軍向けのダンスホールなどの写真を眺める河村さん

 松坂屋史料室の企画展「大戦下の松坂屋」が、名古屋・栄の松坂屋名古屋店南館7階で開かれている。太平洋戦争の終戦から75年にちなむ初の企画。担当者は「戦争を知る人が少なくなる中、松坂屋が戦時をどう乗り切ったかを見て、戦争の罪を考えるきっかけにしてほしい」と思いを込めた。 (豊田直也)

 1937(昭和12)年、日中戦争が勃発。大阪市に当時あった松坂屋大阪店は戦利品を展示する「支那事変展」を陸軍省などの後援で開き、多くの人が詰め掛けた。翌年には、松坂屋は陸軍と海軍に戦闘機「松坂屋号」各1機を献納。戦線が拡大するにつれ、名古屋店は「国民防空展」、東京の上野店は「大南洋展」を開催し、国威発揚を図った。

 やがて物資が不足すると、40年にぜいたく品の販売を禁ずる「七・七禁令」が施行された。松坂屋も倹約のため、貸衣装や中古品売り場を開設。戦地に赴いた家族に送る慰問品の売り場も登場した。

空襲で焼け残った際のすすが残る松坂屋の機械室内=いずれも名古屋・栄の松坂屋名古屋店で

空襲で焼け残った際のすすが残る松坂屋の機械室内=いずれも名古屋・栄の松坂屋名古屋店で

 戦線が拡大する中で、松坂屋も在留邦人の需要に応えようと、中国や東南アジアに進出。最盛期にはシンガポールやインドネシアなどに営業所や出張所など23カ所を設け、44年には外地での利益が日本本土分を上回った。

 だが、間もなく戦況が悪化し、松坂屋の各店舗も空襲で被害を受けた。名古屋店も地下以外の全館が焼けたが、終戦直後から物々交換所や進駐軍向けのダンスホールを開設するなどし、商品がそろわない中でも復興に向けて歩み始めた。

 焼け残った名古屋店の建物は、改修されて現在も使われており、一部に黒いすすの跡が残っている。戦後にダンスホールがあった現在の催事場には、一段高い舞台の跡も見られる。

 企画展では、こうした歴史を写真約30枚と資料約20点で紹介。焦土と化した名古屋の街中に焼け残った名古屋店、ダンスホールで踊る進駐軍などの写真が並ぶ。本来の題名「販売時報」から「報国時報」に改題されていた当時の社内報も展示されている。

 企画したJ・フロントリテイリング史料館の河村誠事務局次長(63)は「戦時の挙国体制の中で、百貨店もいろいろな方法で協力した。二度とこんな時代が来ないでほしい」と話した。8月24日までで、入場無料。

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