ナチスに破壊された村リディツェ
2008年10月 6日
プラハの空港近くにリディツェという小さな街があります。この街は第二次世界大戦中、ナチスドイツの手によって徹底的に破壊され、住民は虐殺されてしまいました。
チェコスロヴァキア(当時)は、ドイツに占領され、「ボヘミア・モラヴィア保護領」と呼ばれていました。その総督をつとめたラインハルト・ハイドリヒが1942年5月27日に暗殺されます。暗殺の首謀者として疑われたのがリディツェだったのです。
現在のリディツェには悲劇をいまに伝える博物館があり、破壊された村の跡はそのまま保存されています。住民のうち男性は全員銃殺、女性は収容所に送られて強制労働をさせられました。子どもの多くは強制収容所で殺されました。
ナチスはリディツェが「この世に存在しなかったものとする」ほど徹底的に破壊しました。博物館ではその様子を簡潔に紹介しています
10月1日から4日にかけては、リディツェ・メモリアルが主催するホロコーストをテーマとした、非常に内容の濃いシンポジウムがプラハなどを舞台に開催されました。
(写真上=村の学校の跡地。子どもたちは一度ここに集められたのち、強制収容所に送られた 写真下=カレル大学哲学科で開催されたシンポジウムの様子。講演者はベーム市長)
- 増田 幸弘
1963年東京生まれ
スロヴァキアの都・ブラチスラヴァ在住のフリー記者。
ヨーロッパ各地を取材しながら、日本でも取材。新聞・雑誌に特集記事や連載記事を執筆している。
「プラハのシュタイナー学校」(白水社)や「プラハ カフカの生きた街」(パルコ出版)などの著作がある。
ヨーロッパは、あの戦争の反省をしっかりしてますね。
そして、風化しないよにと、毎年毎年、反省をし続けているように思います。
翻って、わが日本・・・なんとも情けない状況ですね。
政治家は、相変わらず、真実を見ない・隣国への謝罪のない発言を繰り返しています。
いわなやまめ | 2008年10月 7日 15:01
こんにちは。リディツェ・メモリアルの館長は「歴史を歴史としてきちんと見ることができるようになったのは2000年ごろからのことだった。それまでは政治に利用されてきた」と話していました。
増田 幸弘 | 2008年10月 7日 15:21
こんにちは。増田さんの書かれた、中日新聞での連載記事「プラハのシュタイナー学校」全41回、毎回興味をもって拝見させていただきました。ご自身のご子息がシュタイナー学校へ通うなかで、ご家族の実体験から書かれた記事でしたので、日本にいながらとても身近で新鮮に感じました。ありがとうございました。
すみません | 2008年10月 8日 20:42
こんにちは。ご愛読どうもありがとうございます。本ブログもよろしくお願いします。
増田 幸弘 | 2008年10月 8日 21:32