2011年06月25日
7年ぶりにやって来た北京。エレベーターに乗り合わせた人が先に降りる時、扉を開ける延長ボタンを押したら、「シェイシェイ(ありがとう)」と礼を言われた。おやっ?と思った。
会社が入居する建物を警備するこわもての武装警察官に「ニーハオ(こんにちは)」と言ったら「ニーハオ」と返ってきた。タクシーを降りる時は運転手が「ザイジェン(さようなら)」と言う。
そんなこと当たり前だろう、と言うなかれ。かつては見知らぬ人があいさつを交わすことは珍しかったのだ。十数年前、北京に語学留学した時、リポートに「中国語の素人でも知っているニーハオやシェイシェイを言う人が、なぜか少ない」と書いた覚えがある。
「北京は何が変わった?」と何度も聞かれたが、外面的には車が増え、どの車も立派に。内面的には礼儀を知る人が増えたことだろう。初対面の人に震災の見舞いの言葉を掛けられたこともあった。世界2位の経済大国に成長した証しか。
でも、やっぱりいた。ジュースを飲みながらつり銭を投げてよこす店員、街角で「ガーッ」と大きな音で痰(たん)を吐き散らすおじさん、施術中におならする足裏マッサージの従業員…。
こういう人たちになぜか安らぐのは、心がひねくれている証拠だろうか。 (渡部圭)