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【福井】敦賀の小藩の史実知って 市立博物館で絵図や書状を紹介

ジャンル・エリア : 展示 | 歴史 | 福井  2022年11月17日

鞠山藩の陣屋を描いた絵図

鞠山藩の陣屋を描いた絵図

 嶺南地域を支配していた小浜藩の支藩として、江戸時代中期に誕生した敦賀の小藩にまつわる特別展「敦賀藩物語」が敦賀市立博物館で開かれている。小藩や歴代藩主らに関する資料70点を展示。それぞれの藩主の人柄や功績、幕末まで続いた藩の移り変わりを紹介している。12月4日まで。

 小藩は、敦賀湾沿岸の2つの山の麓に陣屋が置かれたことから「鞠山(まりやま)藩」と通称された。明治初期の版籍奉還により、藩主8代・酒井忠経(ただつね)が敦賀藩知事に命じられてからは、わずか9カ月間ではあったが、正式に「敦賀藩」という名称になった。

 展示品は鞠山藩の陣屋を描いた絵図や、藩主初代・忠稠(ただしげ)が父親の病気回復を喜んでいる書状、藩主を約50年務めた4代・忠香(ただか)が再建した神社の記念歌碑の拓本など。

 幕末の外交官としても活躍した藩主7代・忠毗(ただます)の関連資料では、忠毗が外交交渉する場面を描いたとされるフランスの絵入り新聞や、責任者として携わった製鉄所建設に関する定書、仕事関係の書類を入れていた箱などが並ぶ。

7代藩主・忠毗が書類を入れていた箱

7代藩主・忠毗が書類を入れていた箱

 明治初期の文書「敦賀藩改名願書」は、忠経が明治新政府に出したもので、藩の正式名称を敦賀藩から「鞠山藩」に改めたいと書かれている。改名は認められたが、半年ほどで小浜藩に合併された。

 博物館の坂東佳子学芸員は「藩の中には外交で日本を動かす立場の人もいたことなど、世間にあまり認知されていない史実も多いので、ぜひ知ってほしい」と来場を呼びかけている。月曜と11月24日が休館。

 (栗田啓右)

忠経が明治新政府に出した敦賀藩の改名に関する願書=いずれも敦賀市立博物館で

忠経が明治新政府に出した敦賀藩の改名に関する願書=いずれも敦賀市立博物館で