ジャンル・エリア : 展示 | 工芸品 | 文化 | 歴史 | 石川 2019年11月26日
綾杉文は東アジア由来
12世紀中ごろに奥能登で生まれ、中世日本のやきものを代表する珠洲焼。そのデザイン力に焦点を当てた展覧会が、金沢市出羽町の県立歴史博物館で開かれている。平安時代から続く日本の美意識を表現したほか、東アジアの影響も受けたという新しい視点も提示し、話題を集めている。(沢井秀和)
注目されているのは県文化財の「珠洲 秋草文壺(こ)」(高さ28センチ、胴径27センチ)。しだれ柳が大きく刻まれ、その左にはハギ、残る2面にはススキが風になびく様子を描いている。珠洲市正院町地域の墳墓から出土した骨つぼといわれている。
中世のやきものの最高峰ともいわれる「国宝 渥美焼 秋草文壺」(慶応義塾蔵)にも秋草などが刻まれており、2つのつぼは平安時代に始まった大和絵に通じる美意識があるという。
「源氏物語に語られる『懐かしく、やはらぎたる、もののあわれ』を感じさせる。日本人の心の原風景、王朝人の自然観・死生観を映し出している」。珠洲焼研究の第一人者で、国立歴史民俗博物館名誉教授の吉岡康暢さんはそう説明する。その上で「特別に注文されたつぼを作るため渥美焼の陶工がやってきた可能性が高い」と推定する。
珠洲焼の窯跡は、珠洲市宝立町春日野の法住寺・白山神社の周辺をはじめ旧珠洲郡で40基ほど確認されており、珠洲焼の生産は、日本海側最大の天皇領の荘園だった「若山荘」の経営と密接につながっていたとみられている。当時、日本海側に海運ルートができ、新しい王朝文化が入りやすい環境があったという。
会場では、条線を右下がり、左下がりの交互にたたいてつくる珠洲焼オリジナルの綾杉文が施されたつぼを展示。この文様は、朝鮮半島の高麗瓦にルーツがあるという。一方、つぼの肩部分に4つの耳のような取っ手がある中国の「白磁四耳壺(しじこ)」をモデルとした珠洲焼も紹介されている。
これらから、珠洲焼が東アジアの装飾文化の影響も受けていたというグローバルな珠洲焼の姿も示している。全展示品は92点。
観覧料は一般300円、大学生240円、高校生以下無料。12月15日までの会期中は無休。