作家フランツ・カフカはプラハ生まれ
2008年3月10日
フランツ・カフカはドイツ語で作品を書いたため、日本では長らくドイツ文学の括りのなかで語られることが多いです。しかし、その作品はプラハという街を抜きに語ることはできないといえるほど、深いつながりがあります。
カフカはプラハで1883年、生まれました。当時プラハはオーストリア・ハンガリー二重帝国の首都で、公用語はドイツ語でした。ハプスブルク家の支配が終わりに近づき、民族運動が各地で盛んになります。チェコは1918年に独立を宣言し、1920年にはチェコスロバキア共和国が成立します。
ユダヤ人であるカフカが自らの出自に強い興味を抱き、その文化、とくに演劇に入れあげたのも、こうした時代的な背景があったといってもよいでしょう。
プラハにユダヤ人が定住するようになったのは10世紀にまでさかのぼります。ユダヤ人街にある旧新シナゴーグはヨーロッパ最古のシナゴーグのひとつです(シナゴーグとはユダヤ教の会堂のこと)。
(写真は黄金小路の一角)
- 増田 幸弘
1963年東京生まれ
スロヴァキアの都・ブラチスラヴァ在住のフリー記者。
ヨーロッパ各地を取材しながら、日本でも取材。新聞・雑誌に特集記事や連載記事を執筆している。
「プラハのシュタイナー学校」(白水社)や「プラハ カフカの生きた街」(パルコ出版)などの著作がある。