2022年05月26日
ベルリン中央駅で、列車で到着するウクライナ避難民を取材した。荷物を抱え、ほっとした表情の人もいれば、涙を流す人も。心がうずき、駅の支援所でボランティアを申し込んだ。
「今必要なのはロシア語とウクライナ語を話せる人。後でまた来て」。あっさり断られたが、諦めるわけにはいかない。「私は物が運べます」と食い下がると、ボランティア用の服を渡され、「避難民のバス停に水を運んで」と指令が出た。
結局、支援所内で飲み物を配ることになった私。カートに水と牛乳、お茶を載せて配り歩いていると、つり看板にカートをぶつけて落としてしまった。すると、背の高い人が「僕がやるよ」と、背伸びして看板を付け直してくれた。支援しているのか、されているのか分からない状態だったが、避難民からドイツ語で「ありがとう」と言われるとうれしかった。
背の高い人は看板を付けることができるし、声の大きい人は大声で情報を伝えることもできる。言葉の話せない私は水を運ぶことができた。ウクライナを助けたいと思ったら、ぜひ実行に移してほしい。できることは必ず、ある。 (蜘手美鶴)