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【富山】利常 農業安定の歴史 加賀藩 年貢割付の「村御印」

ジャンル・エリア : 富山 | 展示 | 歴史  2022年02月17日

常設展お宝コーナーで展示している村御印=高岡市博物館で

常設展お宝コーナーで展示している村御印=高岡市博物館で

高岡市博物館6点展示

 高岡市博物館は、加賀前田家3代の前田利常(1594~1658年)が行った農政改革「改作法」に基づき、加賀藩内の全村に1通ずつ出された年貢割付状「村御印(むらごいん)」6点を常設展お宝コーナーに展示している。3月21日まで。(武田寛史)

 同館の仁ケ竹(にがたけ)亮介副主幹学芸員(46)は、高岡市域には江戸時代に213カ村あり、村御印は計200通以上存在していたと推測。「村の姿が分かる貴重な史料だが未確認も多い。失われる前に博物館で保管できれば」と情報提供を呼び掛ける。

 改作法は、凶作で困窮した藩、藩士、農民の救済を目的とした。多額の補助金を農民に給付する一方、豊凶にかかわらず年貢率を一定にした上で増税し、農業の持続と安定を図った改革として評価されている。

 同館は村御印の原本を8点所有しているが、そのうち4点が2019年から続けて寄贈されたことから公開した。

 村御印には村の草高(くさだか)(米の収穫量)、免(めん)(年貢率)、小物成(こものなり)(米以外の収益に対する雑税)などが記載されている。西藤平蔵(にしとうへいぞう)村では草高が「725石」、免が「三ツ八歩」(3割8分=38%)、改作法の増税分の「手上免(てあげめん)」の記載がある。城光寺村には山役、鮭役、鱒役、猟船櫂(りょうせんかい)役など銀を納める雑税が書かれ、二上山と小矢部川からの収益に課税されていたことが分かる。

 村御印の日付は1670(寛文10)年9月7日。1升の升の大きさが新京枡(しんきょうます)に制定された1669年以降に各村に出し直された。利常の没後だが、日付に利常の印が押されていることから御印と言われている。

 仁ケ竹副主幹学芸員は「村御印は村ごとに収穫量や年貢率が細かく違い、農村の歴史そのもの。原本には歴史を訴える力があり、とても大事」と話している。