酢と胡椒で餃子なのだ
2022年11月28日
その昔、日本が鎖国政策を続けていたときに、突然、浦賀(現在の横須賀市)に現れ、開国を求めたのが有名なペリー提督の黒船なのだが、日米和親条約を結び開港地に選定された箱館(現在の函館)にも検分のため1854年に訪れたという。そして函館は国際都市として発展していくことになるのだが、このペリー提督一行がやって来たときに通訳の役目を果たしたのが、どうやら中国人で、国際貿易港として発展した函館で、華僑の方々の活躍は目をみはるものがあったようだ。その名残りとして国内唯一の中国清朝建築様式の建築物「函館中華会館」の外観のみ、現在も見ることができる。そんな華僑の方々の勢いもあってか、函館には古くから中国料理店が少なくなかったような気がする。函館に生まれ、高校卒業まで函館で過ごしたボクは両親とともに大衆的な中国料理店によく食事に行った。子どもだったので、大抵はラーメンやチャーハンを食べていたと思う。父がよく、餃子をオーダーして食べていたが、小学生のボクは餃子は大人の食べ物と勝手にランク付けし、餃子を初めて口にしたのは中学生のときだったと思う。それ以来、餃子はボクの大好物アイテムというわけではないが、けっして侮れない存在になっているのだ。
メインメニューの焼き餃子は具材は超シンプルな肉とネギだけ。
ニンニクとニラは不使用で肉汁たっぷり。食べるときに注意しないと、肉汁が飛び出して服を汚してしまうことも(ボクの場合そうなりました)。酢の中にたっぷり胡椒を入れて、それに付けて食すのがここの店のスタイル。
餃子だけではなく、鉄板焼きやおでんもあり、楽しく子ども連れでも食事できる
フレンドリーさがリピーターを増やしている。この日は男2人で飲んで食べて、大満足7000円というお会計なのだ。
- 浅井 精一
いつのまにかすっかりオヤジになってしまったことに気がついた昭和34年生まれの男。函館出身で母校の函館西高の大先輩が北島三郎、一年後輩が辻人成(といっても面識は無い)。札幌の大学を卒業後、タウン誌編集や10年以上ホテルマンを経験するなどして、現在は編集プロダクション(株)カルチャーランド(札幌・社員24人)代表。手塚治虫マニアであること、昭和40年代のプロレスファンであることで、ごく一部に有名。
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