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コラム カメラマンが行く!プロゴルフトーナメント

第61回 中日クラウンズ

第61回 中日クラウンズ

中止となった初日の18番グリーン。雨が激しさを増す。

中止となった初日の18番グリーン。雨が激しさを増す。

 第61回中日クラウンズ。昨年は中止になった本大会。今年は無観客で開催されたが、クラウンズ史上例の無い大荒れの大会となった。初日は荒天のため中止。2日目1Rは無事終了したものの、3日目朝は選手からコロナ陽性者が出た。午後は雷雨で中断3組がホールアウトできずサスペンテッドに…。58ホールの短縮競技になった。中止になったのは1976年以来、実に45年ぶり。短縮されたのはクラウンズ史上初のことだ。各ラウンドのスタートも時間短縮のため、伝統の1ウェイではなく2ウェイ(OUT、INスタート)で行われた。

岩田寛18番ウィニングパット“小さなガッツポーズ”「周りからやれと言われていたのでやりました」。【撮影:Gary小林】

岩田寛18番ウィニングパット“小さなガッツポーズ”「周りからやれと言われていたのでやりました」。【撮影:Gary小林】

 最終日、首位7アンダーに浅地洋佑、宋永漢、高山忠洋、片山晋呉、宮本勝昌5名が並ぶ大混戦でスタート。制したのは2打差5アンダーからスタートした岩田寛だ。1番2番で連続バーディー、風が強くなる中で5、6番も連続バーディーで宮本と並び首位タイに。14番で単独首位に立ち、16番もバーディー。「17番で3打差あると気づいたんですが、そこからはめちゃ緊張しました」。7バーディーノーボギー63、通算12アンダーで6年ぶりのツアー3勝目を挙げた。「勝ってみたらあんまり長くは感じられなかった」。以前「やらないと思う」と言っていた優勝の“ガッツポーズ”だが、珍しく控えめな“小さなガッツポーズ”が見られた。「周りからやれと言われていたのでやりました」と本意ではなかったようだ。

トロフィーを掲げる岩田寛。笑顔とまではいかないが、嬉しさが滲み出ている一枚。

トロフィーを掲げる岩田寛。笑顔とまではいかないが、嬉しさが滲み出ている一枚。

 “ゴルフ界一喋らない男”と言われる岩田寛。表彰式のスピーチでは「優勝はこれで3回目になんですけど中々慣れません、やさしく見守ってください」と控えめ「久々の優勝で泣くかなと思ったんですけど嬉しさの方が勝っています」。表彰式後のフォトセッションではカメラマンの笑顔の要求にも淡々とこなしていた。感情を表現することが苦手なのか、無茶苦茶に嬉しいはずなのに…。笑顔は苦手らしい。そんな彼の性格に我々カメラマンも“苦笑い”それ以上は追及することはしなかったが何となくだが喜びをかみ殺している感じが印象的だった。

 先月は大学(東北福祉大学)の後輩の松山英樹がマスターズで優勝した。松山選手のマスターズ優勝をみて感じたことは?「テレビで観戦しました、英樹がバーディーをとっても池に入れてもフトンを叩いていました、疲れました。英樹は日本のゴルフ史上最高の選手。その彼が勝って道を切り開いてくれた。彼が勝てなかったらもう日本に勝てる選手はいないと思う」。
 自分にとってクラウンズとは?「伝統のあるクラウンズで勝てたのは嬉しいですけど、両親が愛知出身ということの方が大きいです。親戚もたくさんいますし」。
 米ツアーに再挑戦は?「この優勝で2年間シードが取れたので早く米ツアーに戻りたいです」

15番ティーショットを放つ岩田寛。この時点で宮本とはまだ1打差。

15番ティーショットを放つ岩田寛。この時点で宮本とはまだ1打差。

 宮城県仙台市出身、東日本大震災から今年で10年。3月被災地を見下ろす馴染みのコースから黙祷した。「忘れてはいけないことと、前に進まなければいけないことがあると思う」「たくさん優勝してみんなの笑顔を見たい、今はまだ観戦できないですけどテレビでみんなに感動を与えられたら…」。本人のブログでは「優勝したことよりも皆が喜んでくれることが嬉しい」と綴っていた。優しい無口な男の目標は「40歳になっんたんですけど藤田さんとかビジェイ・シンとか、40過ぎてもたくさん勝ち星を挙げた選手もいる。その人たちを励みに頑張りたい」。

執筆:2021年5月16日

2021年06月02日

コラムフォト

取材担当プロフィール

山之内 博章 やまのうち はくしょう (はっちゃんと呼ばれています。)
1967年2月24日名古屋市生まれO型の魚座です
ゴルフフォトグラファーをやってますが、他に人物や商品も撮ります。
特技?なんだろ?カラオケは大好き。