【スロヴァキア】ユダヤ教会の跡地
2019年11月18日
ブラチスラヴァには戦前、1万5000人ほどのユダヤ人が住んでいました。総人口は12万人でしたのでおよそ13%になりますが、商店主など有力者が多かった点に特徴があります。
ブラチスラヴァ市民だったユダヤ人は第二次世界大戦中、強制収容所に移送され、多くの人が命を落とし、生きてかえってこれたのは約3500人でした。プラハでもそうだったのですが、帰宅した家にほかの人が住んでいたり、預けていた財産を奪われたり、困難な日々を過ごしました。共産体制下でも迫害がつづき、結局ほとんどのユダヤ人がスロヴァキアから逃れました。
こうしたなかで1969年までに旧市街にあったユダヤ教会(シナゴーグ)が取り壊され、道路と橋の再開発用地となりました。失われたユダヤ人の歴史や暮らしを解説するパネル展示が、ユダヤ教会がかつて建っていた広場でおこなわれています。加害の歴史を知ろうとする市民が熱心に読んでいました。
- 増田 幸弘
1963年東京生まれ
スロヴァキアの都・ブラチスラヴァ在住のフリー記者。
ヨーロッパ各地を取材しながら、日本でも取材。新聞・雑誌に特集記事や連載記事を執筆している。
「プラハのシュタイナー学校」(白水社)や「プラハ カフカの生きた街」(パルコ出版)などの著作がある。
投稿についての注意事項
- このブログへのご質問については、内容によってお答えできない場合や、回答に時間がかかる場合があることをご了承ください。