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コラム カメラマンが行く!プロゴルフトーナメント

スタンレーレディス

スタンレーレディス

東日本大震災復興支援に位置づけられるこのトーナメント。各ホール選手の成績により義援金が寄付される。初日記録を作った有村は27万円分貢献。

東日本大震災復興支援に位置づけられるこのトーナメント。各ホール選手の成績により義援金が寄付される。初日記録を作った有村は27万円分貢献。

 今年は例年より早く梅雨が明けた、東海地方の梅雨明けが7月7日ここ数年記憶に無いほど早い梅雨明け…ということは夏が長い?私は夏男で夏大好きなので良いが、選手や関係者、プレスにとっては辛いだろう。まぁ雨が少ないことは有難いが…

 そんな暑い日が続く中スタンレーレディスに行ってきた。最終日は気温がもっとも高くなり34℃、台風が近づいているためか蒸し暑い…初日に有村智恵が驚異的な記録をだした、1ラウンド中にアルバトロスとホールインワンを達成。男女を通じ国内ツアーでは過去に例がない快挙。国内女子ツアーでのホールインワンの確率は604ラウンドに1回、アルバトロスの確率は更に低く17,896ラウンドに1回、同時に達成できる確率はなんと29,614ラウンドに1回、単純に1日1ラウンドとして29,614年かかるということだ。これはもちろんプロの確率でアマチュアの場合はもっともっと遥かな無限に近い。

 ホールインワンとアルバトロス、同時達成で5つもスコアを伸ばした有村だが初日は7アンダー、首位ながら「何かダメだな」と反省、「これで運を使い果たしたのではないか?」とも思ったそうだが、2日目も3つスコアを伸ばし10アンダー、野村敏京に並ばれたが首位を守り最終日へ。

12番ティーの諸見里しのぶ、前半の勢いは止まってしまった。

12番ティーの諸見里しのぶ、前半の勢いは止まってしまった。

 最終日、またスゴイ記録が出た。首位の有村より10組前7打差27位タイからスタートした諸見里しのぶが1番から7連続バーディー、続く8番ではイーグルを決め、ハーフ27と連続8バーディーの女子ツアー記録を更新した。「気がついたら、バーディーばっかりでした」という諸見里、あわや逆転優勝か?と思われたが、その勢いも後半続かず11アンダー3位タイに甘んじた。後半1ボギーでスコアを伸ばせなかったことを考えると、まさに前半で“運を使い果たした”というべきか?

 注目すべきは8番パー5、初日は有村のアルバトロスはじめ4選手がイーグル、2日目も5人、最終日も6人。計16回このことから考えると狙いやすい、スコアの出やすいお年玉ホールということになるのだろうか?しかし過去の記録を見て見ると…2010年大会イーグル3回、08年も3回、08年は6回、とそんなに多くはない。確かにバーディーの確率もダントツなので狙いやすいかもしれないが、初日のアルバトロスに他の選手も刺激され果敢に攻めていった結果なのだろう。ここの8番は「狙いやすい」名物ホール?になりそうだ。

優勝のウィニングパットを入れ腕を高く突き上げる有村。その目線の先には東北がある?

優勝のウィニングパットを入れ腕を高く突き上げる有村。その目線の先には東北がある?

 一方の有村、「1番グリーンにいるときに隣の8番グリーンから凄い歓声が聞こえてきた、ギャラリーの12アンダーだよという声が聞こえてきて、ラインを読みながらも計算したが、どう考えても計算が合わなくて…おかしいな何かの間違いだろう」と思い直しパッティングに集中、見事バーディーを決め最高のスタートを切った。その後諸見里の12アンダーが間違いで無く事実逆転されたことを知る、動揺からか?3番ではティーショットを大きく曲げる、何とかパーでしのぎ「自分はまだスタートしたばかり、伸ばせば問題ない」と割り切り4番~8番で5連続バーディー、後半伸びなかった諸見里を大きく引き離し通算15アンダーで今期初優勝を飾った。

優勝トロフィーを手にする有村智恵

優勝トロフィーを手にする有村智恵

 仙台東北高校出身の有村、震災直後には涙を流した。東北には多くの友人や知人いる…
「自分の活躍で被災地を元気づけることができれば」という思いもあったのだろう、優勝スピーチでは涙も…近々同じ東北高校出身の選手たちと被災地を訪問するというが、「そのためにもこの試合には勝ちたかった、いい報告ができそうです」また「今年は宮城で行われる試合とメジャーには勝ちたいです」と更なる活躍を誓った。きっと被災地も元気つけられることだろう。

 プロゴルフでは男子、女子選手ともに被災地に入りそれぞれの活動をしているが、先日私も被災地を訪れた。6月のニチレイレディスの後そのまま宮城気仙沼まで足を伸ばしたわけだが、千葉から更に450キロ、帰りは名古屋まで950キロなので結構キツイ行程だったが気合で走破…

中央はマンホール。ここには道路があり防波堤も家もあったが…

中央はマンホール。ここには道路があり防波堤も家もあったが…

 義援金やボランティアなどは活発に行われているが、自分の職業を活かして“何か”できることはないか? 「そうだ、被災地の人々の頑張っている姿を撮って写真を送ろう」それも笑顔で。今回の津波で人々は家や親しい人々を失っただけでなく大切な思い出までも流されてしまった。良い思いでではないけれど幾年か先、復興を遂げた後に「あの時頑張った証」としてアルバムの1頁にでもなれば良いな、という思いから現地に入った。

 いざ現地に入ってみると心が折れそうになる。建物は基礎だけ残しその上が無く中には基礎も残っておらず、地面ごと根こそぎ流され更地や海の一部になっているところもある。だいぶ片付いてはいるが今だ手付かずでそのままという感じの所も…多くの橋は流され道路も寸断、鉄道などトンネルと、プラットホームしか残っていない。街灯も無く夜は真っ暗、僅かに残った信号も作動していない。その様な中でも人々は秩序を守り事故も起きないことには感心。

海になった陸地、ここにも多くの建物があった。南三陸町志津川。

海になった陸地、ここにも多くの建物があった。南三陸町志津川。

 15mの津波に襲われた南三陸町志津川では鉄筋コンクリートの建物以外は残っておらず津波の破壊力を知った。とにかく街そのものが無くなっている。現地で色々話も聞かせてもらったがかける言葉もないのには困った。この惨状を目前に“頑張って”というのも何か憚られ、ただ「体に気を付けてお元気で」と言う外なかった。

 今回、被災地を訪れ感じたこと、今回の震災は「対岸の火事」ではなく全国民が「隣家や身内の問題」として捉え「心をひとつ」にして立ち向かわなければ復興はありえないということ。その様なことを考えると復興財源として所得、法人税の臨時増税には、我々も甘んじなければならないのではないかと…。とにもかくにも一日も早い被災地の復興を願う。また時間を見つけ出かけよう…

2011年08月04日

コラムフォト

取材担当プロフィール

山之内 博章 やまのうち はくしょう (はっちゃんと呼ばれています。)
1967年2月24日名古屋市生まれO型の魚座です
ゴルフフォトグラファーをやってますが、他に人物や商品も撮ります。
特技?なんだろ?カラオケは大好き。